東海大菅生・若林弘泰前監督が現場復帰したと報道がありました。下記は、アクシデントから復帰までの経過です。
1/17に東海大相模の若林監督が、謹慎処分を受けていることがニュースになりました。
謹慎処分になった理由は、ノックバットで殴ったり、蹴りを入れたり・・・と体罰です。
体罰を受けた生徒はすでに退学。両親が警察に被害を相談し、結果的に被害届をだし、今後警察による事情聴取も行われるようです。
高野連の判断は、1/20に緊急審査室会議が開催され下記処分が決定しました。
- 若林監督
- 部内体罰と報告義務違反のため昨年12月5日から4カ月の謹慎処分
東海大相模野球部監督を21日付けで解任
→ 選抜に選出されても指揮をとれません。
- 部内体罰と報告義務違反のため昨年12月5日から4カ月の謹慎処分
- 宮原部長
- 報告遅れのため昨年12月5日から1カ月の謹慎処分
東海大相模野球部長を21日付けで解任
→ 選抜に選出されても指揮をとれません。
- 報告遅れのため昨年12月5日から1カ月の謹慎処分
選手たち(東海大菅生)については、「推薦校」として扱うことが発表されました。指導者の不祥事で選手が巻き込まれなくてよかったです。
ただし、秋の新チーム結成から選抜大会までの間に、有期の謹慎処分を受けた指導者は、監督として指揮は取れませんので、若林監督、宮原部長ともに監督にはなれず、代理監督を立てる必要があります。
- 【新体制】
- 上田崇 新監督(29歳)
- 20016年から顧問としてコーチ。高校時代は、同校野球部の主将で捕手。
- 田中聡 新部長(33歳)
- 2015年から2020年まで部長。副部長からの再昇格。
4月7日、暴行容疑で書類送検されるも5月17日付で不起訴処分。
当該選手との示談も成立し、野球部の保護者からは、学校側に監督復帰を求める嘆願書が提出されていた。
6月から顧問として指導現場に復帰しました。
東海相模の不祥事の概要
月 | 日 | 経 緯 |
8 | 30 | 練習試合でミスをしたA選手らを注意する際、臀部を蹴り、厳しく叱責等。 |
10 | 9 | 宮原部長は、A選手から「自信がなくなり、野球をこれ以上続けられない」と相談があり、保護者と相談した方がいいと判断し、A選手を寮から実家に帰宅させる。 |
11 | 1 | 若林監督、宮原部長、A選手とA選手の保護者の4人で面談。この面談でA選手は若林監督による体罰が原因だと初め話をし、転学の意思を表明する。 |
11 | 2 | 若林監督、宮原部長が、校長に上記面談内容と体罰について報告。 |
11 | 中 | 校長を含め3回面談A選手とA選手の保護者から、「(本件は)荒立てないでほしい」との発言もあり、校長は、校内のみに留めると判断。 |
12 | 26 | A選手の保護者から電話で東京都高野連へ情報を提供したことから本件が高野連に発覚。 |
1 | 17 | 高野連の対応中に報道がありました。 ・日本学生野球協会から4か月の謹慎処分 ・学校側からは1月に監督を解任され、停職6か月の処分 |
7 | 1 | 現場復帰したと報道 ・書類送検されたが不起訴 ・当該選手との示談も成立 ・保護者から監督復帰を求める嘆願書 →顧問として指導現場に復帰 |
東海大菅生の2022年秋の成績
秋季東京大会
防御率:1.31
失点11 自責点8 失策7
打率:.330
本塁打1 犠打9 盗塁5
大会結果:東京優勝
決 勝:○8-2 二松学舎大附
準決勝:○3-2 日大三
準々決:○2-1 国士舘
3回戦:○5-1 佼成学園
2回戦:○7-0 明大明治
1回戦:○7-5 佼成学園
明治神宮大会
防御率:3.38
失点6 自責点3 失策1
打率:.182
本塁打1 犠打0 盗塁1
試合結果:初戦敗退
2回戦:●2-6 広陵(明治神宮大会優勝校)
選抜高校野球
大会結果:8強
準々決:●1-6 大阪桐蔭
3回戦:○ 1-0 沖縄尚学
2回戦:○ 5-2 城東
春季東京大会
大会結果:8強
準々決:●5-6 関東第一
3回戦:○ 12-0 目黒日大
2回戦:○ 5-1 城西
春季都大会は8強どまりでしたが、若林弘泰前監督が現場復帰したことで夏に勢いつくか!?
直近のセンバツ候補の不祥事監督
2019年 春日部共栄(関東準優勝校)
本多監督が、練習試合等で平手打ち。
学校側の対応「指導者の不祥事で台無しにすることは避けたい」と推薦辞退を否定。結果、代理監督を立てて選抜出場。
若林監督の略歴
東海大相模高 → 東海大 → 日立製作所 → 中日
高校時代は、1年春からベンチ入りし、3年時にエースナンバーを背負うも甲子園出場なし。
大学2年生の時に、春季リーグで防御率0.00。最優秀投手獲得するもその後は、肘の手術の影響もあり、大学通算30試合に登板し14勝4敗、防御率1.78。
日立製作所で3年間プレーをし、1991年ドラフト4位で中日入団。しかし、大学時代に痛めた肘の影響もあり、1997年に現役を引退。6年間での1軍成績は、17試合に登板し1勝1敗、防御率8.85だった。
引退後は、一般企業に就職するも指導者の道を目指し、30代後半になって教員免許を取得。自身の学業と生活は苦難だったことは推察される。奥さんも良く支えましたね!
2007年に東海大学菅生に社会科教諭として着任し、2009年から野球部監督として指揮を執る。
著書に「叱って伸ばす」や「高校野球“プロ魂” 教育と結果を球児と共有する元中日投手の監督論」がある。
若林監督自身が悔しい思いをバネに成長してきたことや、本気になればやれる!事を経験していただけに、若林監督にも本件を糧に現代にあった指導法を見つけてほしい!
若林監督の教え子に巨人の髙橋優貴選手や、今年ドラフトで指名された田中幹也選手がいます。
完読!ありがとうございます!